声格権(音声人格権)とは
声格権(音声人格権)とは
声を「人格」と「財産」の二層で守る新しい権利概念
声を「人格」と「財産」の二層で守る新しい権利概念
2026.7.28
生成AIの普及により、わずかな音声データから本人と聞き分けられない声を合成できる時代が到来しました。声の無断利用をめぐる紛争や政策論議が急速に進むいま、「声の権利」をどのような枠組みで捉えるべきでしょうか。
本稿では、私、当事務所代表の弁護士・弁理士 伊藤海が試みに提唱する「声格権」の基本的な考え方を、現行法の到達点と限界を踏まえて解説します。
Voice Personality Rights
声格権の定義
声格権(せいかくけん・音声人格権)とは、
人の声に宿る人格的利益と経済的価値を統一的に保護するため、譲渡することのできない「音声同一性保持権」と、譲渡・相続の可能な「音声利用権」の二層で構成される権利概念です(英語表記の一例 ‐ Voice Personality Rights)。
現行法上の明文の権利ではなく、私が現行法の解釈論と将来の立法論の双方を見据えて提唱する理論的枠組みです。
なぜいま「声の権利」なのか
音声合成技術の進歩により、短時間の音声サンプルから声質を精巧に再現することが誰にでも可能になりました。
国内では、声優や歌手の声を無断で利用したとみられるコンテンツの流通が社会問題化し、実演家団体による抗議活動など、当事者の動きが活発化しています。2025年11月には、声優の津田健次郎氏が、自身の声に類似するAI生成音声が用いられた動画の削除を求めて動画投稿プラットフォームの運営会社を提訴したと報じられており(2026年夏に第一回口頭弁論が開かれる見通しと報じられています)、生成AIによる声の模倣を正面から扱う裁判例は、まさにこれから形成される局面にあります。他方で、公認音声データベースの構築など、声を正当なIPとして管理・活用する取組みも始動しており、「守り」と「攻め」の両面で声の法的位置づけの明確化が急務となっています。
政策面では、2026年4月、法務省に「肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会」が設置され、同年7月13日の第4回会合で報告書の原案が大筋で了承されました。同月27日には取りまとめ報告書(案)(約140頁)が公開され、同年8月にも正式公表の見込みです。報告書案は、声も肖像と同様に、みだりに利用されない人格的利益とパブリシティ権の双方による保護が及び得ることを明らかにしています(詳細は後述します)。もっとも、これは法的拘束力のない解釈の指針であり、新しい法律を作るものではありません。
現行法による声の保護と、その限界
第一に、パブリシティ権です。ピンク・レディー事件(最高裁平成24年2月2日判決・民集66巻2号89頁)は、肖像等が有する顧客吸引力を専ら利用する目的での無断使用が違法となる旨を示し、同判決の調査官解説では「肖像等」に声が含まれ得ることが示されています。もっとも、パブリシティ権は商業的利用の場面を規律する財産的権利であるため、ディープフェイク音声による誹謗中傷やなりすましといった、営利を目的としない人格侵害を正面から捕捉することができません。
第二に、名誉毀損やプライバシー侵害などを理由とする一般不法行為(民法709条)による救済も観念でき、公開された法務省検討会の報告書案も、この不法行為の枠組みで声の無断利用の民事責任を整理しています。もっとも、不法行為法理による保護は、どのような利用が違法となるかが事案ごとの利益衡量に委ねられて予測可能性に乏しく、救済も金銭賠償を中心とする事後的なものにとどまります。差止めの可否・範囲も、「声そのもの」に対する権利としての性質決定を欠いたままでは明確になりません。
第三に、著作権法上、声そのものは著作物ではなく、実演家の権利も録音・録画された「実演」を対象とするため、声質のAI模倣それ自体には直接及びません。
第四に、不正競争防止法による保護も議論されており、経済産業省も肖像・声のパブリシティ価値と同法の関係についての考え方の整理を公表しています(2025年)。しかし、周知・著名な商品等表示の冒用の規律(同法2条1項1号・2号)を声に適用するには、声が出所を識別する「商品等表示」として機能するほどの周知性・著名性が前提となります。加えて、「営業上の利益」の侵害を要件とする事業者間の競争秩序の規律という同法の枠組みからは、保護の射程が著名な実演家等の商業的利益に限られやすく、一般の個人の声や、営利目的によらない侵害を捕捉しにくいという限界があります。
こうした間隙 ‐ とりわけ(1)非商業的な人格侵害への対応、(2)死後の声の保護、(3)人格的利益と財産的利益の体系的整理 ‐ を埋めることが、声格権の出発点です。
声格権の二元的構造 ‐ 音声同一性保持権と音声利用権
声格権は、フランス著作権法における著作者人格権と財産権の二元的構成(dualisme)を参照モデルとし、憲法13条の幸福追求権に理論的根拠を置いて、声の保護を次の二層で構想します。
| 音声同一性保持権 | 音声利用権 | |
| 性質 | 人格権的権利 | 財産権的権利 |
| 内容 | 自己の声の同一性を改変・模倣・冒用されない | 自己の声の利用を許諾し、管理・収益化する |
| 譲渡 | 不可(一身専属) | 可能(許諾・譲渡) |
| 死後 | 死後も人格的利益の保護根拠が観念される | 相続の対象となり得る |
この二層構造により、商業的利用の許諾・管理は音声利用権が、なりすましや尊厳侵害からの防御は音声同一性保持権が、それぞれ適切な法理で担うことになります。単一の権利にすべての機能を担わせる一元的構成(ドイツ型)ではなく、あえて二元的構成を採る点が、声格権の理論的特徴です。
法務省の報告書案と声格権 ‐ 重なる点と異なる点
前述の法務省検討会の取りまとめ報告書(案)は、声を「人物識別情報であり、かつ、個人の人格の象徴」と正面から認めた上で、人格権に由来する「みだりに利用されない権利」と、経済的価値を守る「パブリシティ権」の双方の保護対象と位置づけました。声に人格の面と財産の面という二つの顔を認めた点で、その方向性は声格権の考え方と重なります。
もっとも、権利の建付けは異なります。報告書案は、前述のピンク・レディー事件最高裁判決の枠組みを声に及ぼすものであり、同判決は、パブリシティ権を独立の財産権ではなく「人格権に由来する権利の一内容」と位置づけています。いわば一本の幹(人格権)から財産の枝が伸びる構成です。これに対して声格権は、譲渡できない音声同一性保持権と、譲渡・相続のできる音声利用権という、性質の異なる二本の権利を並び立てる構成を採ります。著作権が、著作者人格権と著作財産権の二本立てで構成されているのと同じ発想です。
この建付けの違いは、実務の急所で結論の差となって現れます。それは報告書案自身の記述からも読み取れます。第一に、譲渡・相続です。報告書案は、権利の相続について「解釈論で導き出すことは困難」との検討会での意見を記録し、譲渡・相続については「現時点で一致した見解を導き出すことは困難」として、結論を今後の検討に委ねました。第二に、死後の保護です。ご本人の権利は死亡により消滅し、故人の声はご遺族の敬愛追慕の情への配慮を通じて間接的に保護されるにとどまります。しかもその賠償は原則として慰謝料の範囲とされ、故人の声が持つ経済的な価値そのものは救済されにくい構造です。第三に、保護の広がりです。報告書案は、一般の方の声も人格の面では保護されると踏み込みました。これは大きな前進ですが、財産の面(パブリシティ権)は依然として顧客吸引力、つまり有名であることが前提のままです。
ここで注目すべき点があります。報告書案は、著作者や実演家が亡くなった後の人格的利益を守る著作権法の規定(第60条、第101条の3、第116条)が、死後のパブリシティ権の保護の在り方を検討する上で「一つの参考」になると付記しています。著作権法は、まさに譲渡できない著作者人格権と譲渡できる著作財産権の二本立てによって、創作物をめぐる同種の難問を解いてきた法律です。声格権は、この実績ある建付けを声に応用するものにほかなりません。検討会でも、期間を限って権利を設定的に移転する形であれば譲渡を認める余地があるのではないかとの意見が示されており、譲渡・相続可能な有限の財産権としての音声利用権は、こうした議論の延長線上に位置づけられます。
要するに、報告書案は「現行法の解釈でここまで守れる」という到達点を示すと同時に、解釈では越えられない天井のありかを自ら明らかにした文書です。解釈で困難なら、次の一手は立法です。報告書案の意義を正当に評価しつつ、残された課題 ‐ 死後の保護、譲渡・相続、無名の方の声の財産的な活用 ‐ に理論的な解を与えるところに、声格権を提唱する意味があります。
学説・国内外の動向のなかでの位置づけ
国内では、「人声権」の提唱(中島基至「人声権(Right of Human Voice)の生成と展開」Law & Technology 106号・2025年)、「声の人格権」に関する研究(荒岡草馬ほか「声の人格権に関する検討」情報ネットワーク・ローレビュー22巻・2023年)など、声の権利をめぐる議論が急速に蓄積されています。声格権は、これらの人格権的アプローチと、ピンク・レディー判決以来の財産権的アプローチとを、二元的構造によって架橋し、体系化しようとする試みです。
海外に目を転じると、米国では、デジタルレプリカに関する連邦法案(NO FAKES Act)が審議されており(2026年6月に上院司法委員会を通過)、生存中は譲渡できないものの死後も存続し許諾の対象となるという、声格権の二元的構造と発想を同じくする建付けが採用されています。テネシー州は2024年のいわゆるELVIS法により、パブリシティ権の保護対象に「声」を明文で加えました。EUではAI法50条に基づくディープフェイクの表示義務が2026年8月2日から適用され、韓国の不正競争防止法は氏名・肖像とならぶ「音声」の無断使用を明文で規律しています。声の保護の明文化は、すでに国際的な潮流です。
エンターテインメント実務への示唆
声格権の二元的構造は、立法論にとどまらず、いまの契約実務・紛争対応を整理する思考の道具として直ちに活用できます。たとえば、タレント・声優の音声AI利用契約においては、利用権の側面から利用範囲・期間・対価・契約終了後の音声モデルの取扱いを定め、同一性保持の側面から改変・二次利用の限界を画するという整理が可能です。専属契約や移籍の場面における声の帰属、亡くなった実演家の声の管理と承継(死後事務委任・IP承継)、無断利用に対する削除請求・発信者情報開示・損害賠償といった各局面でも、人格と財産の二層を切り分けて検討することで、論点の見通しが格段に良くなります。