‐ 津田健次郎氏対TikTok Pte. Ltd.事件・東京地判2026年9月30日(令和7年(ワ)第70635号)の意義と限界 ‐

1 事案

声優の津田健次郎氏(原告)は、動画投稿サイトTikTokを運営するシンガポール法人TikTok Pte. Ltd.(被告)に対し、同サイト上のあるアカウントが2024年7月から2025年9月までに投稿した188件の動画の削除を求めた。各動画は、映像と字幕に、都市伝説や心霊現象などの雑学のナレーションを組み合わせたもので、原告は、このナレーションの声が自らの声に類似しているとして、不正競争防止法3条に基づく差止請求権、又はパブリシティ権に基づく侵害排除請求権を根拠に削除を求めた。当該アカウントは2025年11月時点で21万人以上のフォロワーを有し、各動画は数千から数万の「いいね」を獲得していた。アカウントのトップページからリンクされた外部サイトには、ナレーションの音声は原告の声を無断でAIに学習させたものではなく、声真似の上手い友人の声をAIに学習させたデータを使用したものである旨の記載があった。他方、コメント欄には「津田健次郎…?」「ツダケンの声がする」「津田健次郎の声真似が上手い友達の声をAI変換させたって言ってるけど嘘だよな」といった投稿が見られた。

原告は、2025年8月に発信者情報開示命令を得たが投稿者の特定に至らず、同年9月に被告へ侵害情報送信防止措置を請求し、同年11月に本件訴訟を提起した。投稿者は2026年5月29日にアカウントを削除し、30日以内に復旧申請をしなかったため、被告の内部規則に従い、各動画のデータは同年6月28日の経過をもって被告のサーバから削除された。口頭弁論はその5日後の7月3日に終結した。

2 判決

東京地裁民事第46部(髙橋彩裁判長)は、原告の請求をいずれも棄却した。判決の骨格は三つある。

第一に、被告は、動画が削除済みであるから訴えの利益を欠くと主張したが、裁判所は「削除請求の対象の存否は実体上の削除請求権の存否に関するものであり、訴えの利益の有無を左右するものではない」として、訴えを却下せず、実体判断に入った。

第二に、パブリシティ権に基づく削除請求の可否に関し、裁判所は次の一般論を示した。

「人の声は、人の肖像と同様に個人の人格の象徴であるということができるところ、例えば実演家の声等を無断で使用する行為は、その声が商品の販売等を促進する顧客吸引力を有するといえる場合であって、その声を使用する行為が専らその声の有する顧客吸引力の利用を目的とするものといえるときは、パブリシティ権の侵害に当たると解するのが相当であるといえる。」

第三に、裁判所は、各動画のデータが2026年6月28日の経過をもって被告のサーバから削除されたと認定したうえで、「仮に被告に削除義務が生じ得るとしても、前記⑴によれば、口頭弁論終結時までに、被告において削除の対象である本件各記事を削除したことが認められ、被告が更に本件各記事の削除義務を負うものではないから、原告の請求はいずれも理由がないことが明らかである。事案にかんがみ、本件において、その余の争点についてこれ以上の判断はしない」と述べた。声の類似性、混同のおそれ、被告が不正競争防止法3条の「侵害する者」に当たるか、被告にパブリシティ権に基づく削除義務が生じるかといった争点は、いずれも判断されていない。

3 意義 ‐ 「肖像等」に声が含まれることの初めての明示

パブリシティ権は、ピンク・レディー事件の最高裁判決(最判平成24年2月2日民集66巻2号89頁)が、「肖像等は、商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり、このような顧客吸引力を排他的に利用する権利」として承認したものである。同判決は「氏名、肖像等」と述べるにとどまり、声が含まれるかは明示していなかった。学説では声を含める見解が有力であり、法務省の「肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会」の取りまとめ報告書(2026年8月7日公表)も、声がパブリシティ権の保護対象に含まれ得ることを解釈指針として示していたが、裁判所の判断は存在しなかった。

本判決は、知的財産事件を扱う東京地裁民事第46部の合議体が、声を「人の肖像と同様に個人の人格の象徴」と位置づけ、パブリシティ権の客体に含めた初めての裁判例である。行政の解釈指針が判例法の側から裏付けられ、生成AIによる声の模倣がパブリシティ権の土俵に乗ることが確認された。侵害の基準として、ピンク・レディー判決と同じ「専らその声の有する顧客吸引力の利用を目的とする」という基準を採用した点も、今後の事件の指針になる。

見落とされがちだが重要なのは、「個人の人格の象徴」という言葉である。ピンク・レディー判決は、肖像等が「個人の人格の象徴であるから、当該個人は、人格権に由来するものとして、これをみだりに利用されない権利を有する」と述べ、パブリシティ権をその人格権に由来する権利と位置づけていた。本判決が声を同じ言葉で捉えた以上、声についても、顧客吸引力の有無にかかわらず「みだりに利用されない権利」が人格権として認められるという帰結が、論理的には導かれる。法務省の報告書が「声をみだりに利用されない権利」を独立の項目として検討していたことと整合する読み方であり、顧客吸引力を持たない実演家や一般の人の声の保護を考えるうえで、本判決のこの一句は足場になる。もっとも、判決自身はそこまで述べていない。

なお、判決が主体の例示として「実演家の声等」という語を用いたことも注目される。声の保護が、著作隣接権を持つ実演家の権利と隣り合う領域であることを、裁判所が意識していると読める。

4 限界 ‐ 権利はあるが救済されなかった

第一に、侵害の成否は判断されていない。原告は「艶のある低音ボイス」という声質が営業表示であり、独特の抑揚や低音の響きが共通することを「広く採用されている科学的手法による音声比較分析」で証明したと主張し、被告は「普遍的な男性の声」であると反論したが、声の類似性や同一性の判断基準は示されなかった。声の無断利用をめぐる実務上の最大の難問は、なお未解決である。

第二に、出所を偽る表示の効果も判断されていない。本件では、投稿者が「声真似の上手い友人の声をAIに学習させた」と外部サイトに記載していた。被告はこの記載により混同のおそれがなく、また原告の声の使用に当たらないと主張した。この種の表示が、混同の否定や「本人の声の使用」の否定に働くのか、それとも学習データの出所を争点化する手掛かりにとどまるのかは、今後の事件に持ち越された。

第三に、プラットフォームの義務は判断されていない。原告は、被告が送信防止措置請求に真摯に対応しなかったこと、動画配信という枢要な行為を行い収益を通じて投稿を動機付けていることから、被告自身が不正競争防止法3条の「侵害する者」に当たり、パブリシティ権に基づく削除義務を負うと主張した。判決は「仮に被告に削除義務が生じ得るとしても」と述べるにとどめ、投稿の場を提供する事業者がいつ削除義務を負うかを示さなかった。

第四に、削除されたことで救済が終わった。発信者情報開示命令から約14か月、提訴から約10か月を経て、口頭弁論終結の5日前にデータが消去され、原告が判決で得たものは一般論だけである。本件の請求は各動画の削除であったから、削除されれば削除請求権は消滅する。将来の再投稿の禁止や、声を学習した音声データの利用禁止は求められておらず、判決もそこには触れていない。声優有志が法務省の検討会に提出した資料は、一つ一つの音源に対する削除申請や訴訟は「いたちごっこ」であり抜本的な解決にならないと訴えていたが、本判決はその構造をそのまま示した。

第五に、本判決はパブリシティ権の枠内の判断であり、自分の声で言っていないことを言わされないという人格的な利益、営利を目的としない利用、故人の声については、何も述べていない。

5 実務への示唆

声を無断で利用された側にとっての教訓は明確である。削除請求だけを立てると、相手が削除した時点で請求は理由を失う。将来の投稿の差止め、音声データの利用禁止、損害賠償を併合して、削除後も判断を受けられる訴訟の建付けにしておくこと。本案の審理には時間がかかるため、削除の仮処分を先行させること。削除される前に、URL、投稿日時、再生数、フォロワー数、収益化の状況、コメント欄の反応(本件でも「ツダケンの声がする」等のコメントが証拠として提出されている)を確保すること。声の類似性については、本件の原告が用いたような音声比較分析を早い段階で準備すること。出所を偽る表示に対しては、学習データの開示を求める手段を検討すること。発信者情報開示の手続と、情報流通プラットフォーム対処法に基づく削除申出の手続を組み合わせ、所属事務所や業界団体の窓口と連携して、個人が矢面に立たずに済む体制を整えることである。

利用する側にとっては、本人と同定され得る声を用いるなら本人の許諾を得ること、合成音声であることや学習元の説明が混同や「本人の声の使用」の判断に影響し得るとしても、それが免責を保証するものではないこと、プラットフォーム事業者にとっては、送信防止措置請求への対応の遅れが自らの責任の根拠として主張され得ることが、本件の主張構造から読み取れる。

6 立法への示唆

本判決は、判例法による声の保護の到達点と限界を同時に示した。到達点は、声が「個人の人格の象徴」としてパブリシティ権の客体に含まれることの承認である。限界は、侵害の基準が「顧客吸引力」に置かれるため保護される主体が著名な者に限られること、削除されれば救済が終わり、再投稿のおそれや学習済みの音声データそのものに手が届かないこと、投稿の場を提供する事業者の義務が定まらないこと、そして人格的な側面が「人格の象徴」という言葉にとどまり、具体的な権利として組み立てられていないことである。

法務省の解釈指針と、経済産業省の産業構造審議会で進む不正競争防止法改正の議論は、いずれもこの限界を完全には越えない。前者は解釈指針であって権利を創設せず、後者は営業上の利益を持つ者の保護にとどまるからである。求められるのは、声そのものを客体として、本人の意思に基づいて差止めと損害賠償を求めることができる権利を明文で定めることである。声には、本人にしか帰属し得ない人格的な側面と、事務所や制作会社に許諾して利用させる財産的な側面がある。本判決が声を「人格の象徴」と呼んだことは、前者の側面を権利として組み立てる根拠になる。この二つを分けて定めれば、本人が自ら止められることと事務所が守れることが両立し、学習済みモデルの提供や再投稿のおそれに対する差止め、無名の実演家や一般の人の声、故人の声の保護も射程に入る。当事務所はこの考え方を「声格権」の二元構成として整理しており(当サイト「声の権利(声格権)」ページ参照)、10月上旬に法律案の骨子を公開する予定である。

出典

  • 東京地判令和8年9月30日(令和7年(ワ)第70635号投稿記事削除請求事件、民事第46部、裁判所ウェブサイト掲載)。最判平成24年2月2日民集66巻2号89頁〔ピンク・レディー事件〕。
  • 法務省「肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会 取りまとめ報告書」(2026年8月)。
  • 声優有志一同「声優の被害状況と声の保護に必要な対策」(同検討会第2回資料7、2026年5月28日)。
  • 判決当日の報道 ‐ TBS NEWS DIG(2026年9月30日13時11分)、朝日新聞(同日14時16分)。
公開日: 2026年10月1日カテゴリー:

この記事を書いた人:伊藤 海 弁護士/弁理士

アバター画像
弁護士/弁理士 東京弁護士会所属(登録番号:49989) 日本弁理士会所属(登録番号:21902) 取扱分野:企業法務、カルチャー・エンターテインメント法務、AI法務、ベンチャー・スタートアップ支援、知的財産権法